マニュファクチュールの元祖

JAEGER LECOULTRE

19世紀前半創業、これまでに数百の発明と1,000種類以上のキャリバーを開発

1833年にスイスのル・サンティエで、アントワーヌ・ルクルトにより創業されたブランド
1851年に、ロンドンで開かれた最初の万国博覧会で、金メダルを受賞しています。
1866年に、別々に時計製造に関わる作業をしていた小さな家内工房を一箇所に集約する、本格的なマニュファクチュール「LeCoultre & Cie」をジュウ渓谷に設立し、1870年には、従業員500人を抱え、1900年までに350種類以上の「ムーブメント」を製造しました。
1902年以降の30年間、マニュファクチュール「LeCoultre & Cie」 は、「パテック・フィリップ」向けのムーブメントの大半を製造しています。

世界最小の「ムーブメント」など、1242種類以上の「ムーブメント」を製造し、約400件の特許を取得するなど、高い開発能力が特徴のブランドで、世界一複雑な腕時計、半永久的に動く時計なども作られています。

ジャガー・ルクルトのブログ記事一覧

  1. 創業
  2. 創設
  3. 出会い
  4. ジャック・ダヴィド・ルクルト

創業者アントワーヌ・ルクルト

1833年、アントワーヌ・ルクルト(1803-1881) がスチールから時計のカナを切り出す機械を発明。これに伴い、アントワーヌは、ル・サンティエに時計製造の小さなアトリエを開き、高品質のタイムピースを製造するためのスキルを磨いていく。

1844年にアントワーヌ・ルクルトが発明したミリオノメーターは、ミクロン単位を測定できる史上初の計器で、これにより正確な時計部品の製造が可能となった。当時スイスにはこのようなシステムは存在しなかったため、これに関する特許は取得されなかったが、その独自の構図は50年以上社内で厳重に保管され、使用されている。ミリオノメーターは、1900年のパリ万国博覧会 で発表された。

1847年、アントワーヌが鍵の要らない竜頭巻きの時計を発明。これは、時計の巻上げとセッティングを鍵なしで行えるという、簡単で信頼度の高い最初のシステムとなった。時計の機能を切り替えるレバーの作動には、鍵の代わりに小さな押しボタンが使用されている。他の時計メーカーでもこのシステムを迅速に導入できるよう、ジャガー・ルクルトはこのシステムの特許を取得していない。その4年後には、ロンドンで開かれた初の万国博覧会で、タイムピースの精度と機械化の実績が認められ、金メダルを授与される。

LeCoultre & Cie

1866年、時計製造がまだ数100の小さな家内工房に依存していた頃、アントワーヌと息子のエリー(1842-1917)は、ジュウ渓谷に初の本格的なマニュファクチュール、LeCoultre & Cie を創設し、時計製作に関わる数多くの技術を一つ屋根の下に集結した。

1870年には、このマニュファクチュールの下で、複雑機構を備えたキャリバーの生産工程の一部に初めて機械化が導入される。
同じ年、マニュファクチュールで働く従業員は500人を数え、LeCoultre & Cie は「ジュウ渓谷のグランド・メゾン」として知られるようになる。

1900年までに350種類以上のキャリバーが製造され、うち128種類はクロノグラフ機能を、99種類はリピーター機構を搭載。1902年以降30年間にわたり、LeCoultre & Cie は、ジュネーブのパテック・フィリップ向けムーブメントの大半を製造していた。

エドモンド・ジャガーとジャック・ダヴィド・ルクルト

1903年、パリに拠点を置きフランス海軍向けの時計を製造していたエドモンド・ジャガー(1858~1922)が、スイスの複数の時計職人に対し、自らが発明した超薄型キャリバーを開発・製造してほしいと注文をつける。
アントワーヌ・ルクルトの孫にあたり、LeCoultre & Cie の製造責任者だったジャック・ダヴィド・ルクルト(1875~1948)は、この課題に挑み、超薄型懐中時計のコレクションを製作。
1907年には、ルクルト製キャリバー145を搭載した世界で最も薄い懐中時計を製作する。ルクルト製キャリバー145は厚さ1.38mmという世界で最も薄いムーブメントの記録を樹立。今なお、懐中時計用ムーブメントとして最も薄い記録を保持している。
同年、エドモンド・ジャガーはフランスの宝石商カルティエと、今後15年間、すべてのムーブメントをカルティエ専用とする契約を締結し、そのムーブメントはルクルトで製造された。この優れたムーブメントを搭載することで、デザイン性と機能性との両面で、カルティエは一級品としての地位を確立していったのです。

1937年、こうしたジャガーとルクルトの協力関係により、『ジャガー・ルクルト』 ブランドが正式に誕生する。ただし、1932年から1985年頃まで、北米ではルクルトの名で腕時計が販売され、その後、世界的にジャガー・ルクルトの名に統一された。会社の記録によると、アメリカのルクルト製腕時計に使用された最後のムーブメントは、1976年にル・サンティエから出荷されている。

Jacques David LeCoultre

1875年12月31日生まれ、ジュネーブの時計学校を卒業後、有名時計メーカーで日夜時計の研究に勤しむ。
1901年 結婚し、男の子が生まれたが工場の庭に落下するという悲劇的な事故で3歳で亡くなっています。
1907年 時計師エドモンド・ジャガーからの依頼で厚さ1.38mmという極薄ムーブメントCal.145を完成させ世界最薄のポケットウォッチを製作。今なお、懐中時計用ムーブメントとして最も薄い記録を保持しています。この頃からパティック フィリップ、オーデマ・ピゲ、ヴァシュロン・コンスタンタン、IWC、Hモーザーなど数多くの高級スイス時計メーカーをエボーシュ提供先として顧客に持ち、世界の時計メーカーを引率し『ルクルト』は揺るぎないブランドになっています。
1925年 「デュオプラン」を製作。
1928年 「アトモス」を製作。
1929年 世界最小のムーブメントCal.101を完成させました。
1931年 インド駐在の英国人将校からの依頼で「レベルソ」を製作。
1937年 時計師エドモンド・ジャガーとの長い協力関係の結果、『ジャガー・ルクルト』を設立。
1945年 ローザンヌ大学から名誉博士号を授与されています。
1948年 死去
1949年 ジャック・ダヴィド・ルクルトが最後に設計したムーブメントCal.486が完成。


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